海賊ディアボロの歌

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海賊ディアボロの歌

圧倒的な声量というのを強烈に刻まれた曲。
昭和52年10月(1977)

台東区役所浅草分庁舎として伝法院前にあった元浅草区役所が現在の台東区役所が上野駅前に出来上がったことで取り壊しになり、その跡地に現在の浅草公会堂が出来上がった。

その前の通りは伝法院の正門前から雷門通りまでを「区役所通り」と呼ばれていたが、浅草公会堂が出来た時に「浅草公会堂オレンジ通り」(現オレンジ通り)に改名された。

オレンジ通りは区役所通りの時から毎週日曜日には車両通行止めとなり屋台がズラリと並んで観光客や地元の子供たちでいつもお祭りのような賑やかさだった。

特に伝法院前の角には毎週のように辻講談や辻浪曲が立ち、名場面や名曲をやっていたな。

講談の第一次上田合戦、第二次上田合戦での真田昌幸の見事な采配で徳川軍が右往左往させられる場面や、天保水滸伝の平手造酒が大利根河原の決闘で飯岡側の手下たちをバッタバッタと切り倒す場面や、堀部安兵衛が高田馬場で叔父の決闘の手助けとして相手の侍たちをバッタバッタと切り倒す場面など、ワクワクして聴いていた。

そんな中で、公演が終わったであろう田谷力三さんが浅草公会堂から出てきて子供たちが見つけるとワーっと集まって「海賊歌って歌って!海賊!」というと「フフフ」っと笑って、いつも赤や緑など派手な上着を着ておられたが、胸にはチーフではなく花が一輪刺さっていて、それを右手ですくう様に持ち上げるとコンダクターのタクトみたいにリズムをとりながらアカペラで歌ってくれた。

当時の子供たちから見ればもうおじいさんであった田谷力三さんは、地面が震えるような大声量で歌いながら、まるでハーメルンの笛吹男のように子供たちを引き連れて国際通りまで行進していきタクシーをつかまえる。

ちょうど歌い終わりくらいになるので近くにいる大人たちからも拍手の嵐となっていた。
止めたタクシーに乗り込む時、右手に持っていた花を「はい、どうぞ」と言って近くにいる子供に渡してくれる。

子供たちはその花が欲しくて群がっていたのだが、その歌声の圧倒的な強さは刻み込まれていた。

あれって、今思うと子供たちのためにロビーに飾られている花を一本抜いてわざわざ胸ポケットに刺していたんではないだろうか。

この音源は少し若い頃の録音だと思う。

私が聴いた頃の声はもっと太かった。

幼少期の忘れられない声。

大好きな歌声。

講談の宮本武蔵vs山田真龍軒を聴いていたら無性に聴きたくなって探して探してやっとみつけた。

物語は全く知らないけど(ごめんなさい)お店にも来てくれていた田谷力三さん。

もう一度、生で聴きたいな。

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